奇天烈トロッコ
〜至高のナロー軌道43選〜
青森恒憲 著
Chapter-9 宇佐美建設都賀工事軌道-2
都賀トロがあった場所、実は我が家のすぐ近くでした。
いま思えば、自宅至近のトロッコなんて夢のようです。
時間さえあれば足を運び、トロッコ観察をしていました。
徒歩だと少し遠いので自転車で。この頃は未だ運転免許を持っていなかったし…
すべてカメラを持参した訳ではなく、見るだけの日も多くありました。
撮影をした日はネガカバーの記録で判断出来るのですが、見物だけの日に関しては、もう知る由もありません。
或る日、何気なくトロッコ見物に行った時です。
どうしても足が向くのはBLが運用される原町線…
人力だった高品線はチラ見するだけでスルーしていたのですが、この時ばかりはチト違いました。
原町線との境にある道路から高品線を眺めると、土運車が『何か』に牽かれて進み去るのが見えました。
「バタバタバタ」という妙な音と共に…(・・?
とても気になったため得体の知れないモノを求め、高品線の軌道を歩いて見に行きました。
けたたましい「バタバタバタ!」という音が接近し、やがて姿を現したのは想像を絶するシロモノ…
なんと、耕運機改造の機関車だったのです。
その日はカメラが無かったため、ずっと観察だけしていました。
翌日、慌てて撮影に向かったのは言うまでもありません…(笑)
当時聞いた話によると、これは宇佐美建設が廃品を寄せ集めて造ったとか。
平トロに耕運機の上回りを載せ、前後車軸にチェーンで伝動。
構造としては至って単純ですね。
面白いのは後駆動輪軸から更にチェーンで別の軸に伝動し、そこに対のディスクブレーキを備えているところです。
そのブレーキをかけるにはレバー操作で行いますが、これはトラック?のシフトレバーが流用されていました。
レバーの後にマスターシリンダーがあり、ブレーキホースがキャリパーに繋がっています。
種車が平トロだったため、制動装置に苦労したのでしょうね。
それにしても変てこな仕組みです。まぁ、ブレーキが必要なほど速度は出ませんから、停まれば何でも良いのでしょうけれど(笑)
運転席には乗用車のシートが流用されていました。ですが、ここに座って運転するのを見た覚えがありません。立って操作したり、乗らずに歩きながら…というのが殆ど゛ったでしょうか。
「バタバタバタ」という喧しいサウンドから、ボクらは「バッタ」とか「バッタロコ」と呼んでいました。
車輪直径が20cmくらい?しかなく、四輪駆動のくせに非力。
音が大きい割に全然前へ進まない、実に怪しげな機関車です。
それでも現場にとっては貴重な動力であり、都賀トロ末期まで活躍を続けたのでした。
都賀トロは1980年2月に一旦作業を終えました。
「一旦」というのは工期中にやりきれなかった部分があり、翌シーズンに持ち越しとなったからです。作業がどんどん縮小してゆき、トロッコの稼働量が減ってゆくのを目の当たりしていて、「終わりも近いのかぁ」と暗くなっていたボクにとっては朗報でした。
そして同年11月、晩秋の田んぼに再び都賀トロは帰ってきたのです。
まるでアンコールに応えてくれるかのように。
都賀トロを思い出すと、日本のどこかに似たようなトロッコが或る日突然現れるのではないかという希望を見出せます。
あなたの地元にも、もしかすると…
1980.11
1979.12
1980.02
1979.12
1979.12
1979.12
1979.12
1979.12
1980.01
1979.12
1980.01
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1979.12
1979.12
当社への御予約特典として、青森さんから素敵なポストカードのプレゼント(^^♪。
発売日まで掲載した写真の中から、3枚セットにしてプレゼントさせて頂きますのでお見逃しなく!
モデルワーゲンからもプレゼントを御用意することに致しました(^^♪。
というのはたまたま古いノートを引っ張り出したら、当時ボクがB5のノートに描いた駒形石灰と正田醤油の見取図を発見してしまいまして、もっと早く編集中に思い出せば良かったのですが、悔やんでももう印刷中(@_@)。
それならばせめて本と同じB5に両面印刷(表は見取図、裏は写真)したものを、各1枚当社からプレゼントさせて頂こうということにしました。
このようなことで書店販売分には入れられませんが、そこのところは何卒御容赦ください。
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