奇天烈トロッコ
〜至高のナロー軌道43選〜
青森恒憲 著
Chapter-6 三菱石炭鉱業 高島鉱業所
ナロー軌道の動力車として、最も憧れていたのが加藤製作所のDLです。
特に河川工事などでナベトロを連ねた姿なんかが理想です。
しかし残念ながらボク世代では見ることは出来ませんでした。
加藤には誰が付けたかMr.KATOなんて称号もありましたが、ボクにとっては女性形なんですよ。
ボンネットとサイドカバーを正面から見たラインを髪型になぞり、「聖子形KATO」と呼んでいたくらいですから(笑)
マァどうでもいいマクラはこれくらいにして、そろそろ本題です。
長崎県の炭鉱島に加藤が活躍していたことはトロッコ界では有名でした。
一度は行ってみたいと思いながらもなかなかチャンスがありません。
しかし或る日父から「会社でJALの株主優待割引券をもらえる」というハナシを聞きました。
当時は金券ショップなどなく、株優はあくまでも「もらうもの」だったのです。
また今と違って格安航空券なんてものもありませんから、株優はとにかく強い味方でした。
即決で頼み込んで長崎行きを決めたのは言うまでもありません。
この頃のJAL国内線は路線が少なく、九州は福岡のみでした。
が、ボクには行きがけの駄賃目的があったのでかえって都合が良かったのです。
それは中州の屋台群!
今みたいにグルメ情報なんて何もない時代でしたが、タモリさんが中州の屋台について熱く語る内容に魅せられていたのです。
中州に着いたものの、どこの屋台がいいなんて分かりませんから、テキトーに入りました。
一時期関西育ちの関東人にとって、中州の屋台はとにかくカルチャーショックでしかなかったです。
今となっては超有名ですから詳細な内容は割愛しますが、衝撃的であり感動的でした。
当時は観光客の利用も少なかったんじゃないでしょうか。
面白かったのは意気投合した屋台の主人です。
さんざん食べて呑んだあと「やっぱり最後には博多のラーメンが食べたいんだよねー」といったボクに対し、「ウチんラーメンはたいしたことなかけん、もっと旨か店に連れて行っちゃる」との返事。
で、お店を一時閉めて別の屋台に行きました。
屋号などは全く記憶はありませんが、美味しかったことは確かです。
楽しかったことで時間を忘れてしまい、かなりヤバい時刻になっていました。
あわててタクシーに飛び乗り、博多駅に着いたのは「ながさき」の発車時刻ギリギリ。
予約していたB寝台下段に潜り込み、酔いに任せて熟睡…とゆきたかったのですが、普通列車ゆえにやたらと停まるのでよく眠れませんでした。
本題に入っても未だトロッコが出てきませんねぇ…(;^ω^)
♪長崎から船に乗って高島に着いたぁ〜♪
という訳で、やっとトロッコの島に到着です(笑)
鉱業所事務所を訪ねたのか、いきなり撮り始めたのか、全く覚えていません。
ですが確かに加藤たちは生きていました。
老齢化し、整形手術を重ねて悲惨な姿になった聖子形でしたが、魅力は全く衰えていません。
新顔の北陸製DLも走り回っていました。
高島での思い出で一番なのは、とある町食堂です。
奇天烈トロッコにも書きましたが、店主のばあちゃんがつくったチャンポンが美味しかったこと、隣の椅子にはネコが座っていてずっと話しかけながらチャンポンたべていたこと、なんだか加藤よりも印象深いです。
今回は四方山話ばかりで失礼いたしました。
1982.1
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