奇天烈トロッコ
〜至高のナロー軌道43選〜
青森恒憲 著

Chapter-4 伊勢孫本店とトロッコ商店街

近年では「街角軌道」なんてカテゴリがあるようですね。
これらは店舗などが物を運ぶために設けたトロッコのことで、たいていは間口に面する道路から敷地内へと軌道が敷かれています。
さすがに過去の遺物ですので現役のトロッコは殆どなく、現状では軌道が残されているくらいのところがほとんどだと思います。
ボクの趣味的には正直申し上げて注目度は「低」で、たまに何処かしらで見かけても食指は動きませんでした。
ところが同じ商店街に三軒も軌道を持つ店舗があったなら、ちょっとハナシは違いますね(笑)

千葉県東金市、国道126号線の旧道は古くからの商店が軒を連ねる商店街です。
ここには三軒のお店に軌道があるという、知る人ぞ知る「トロッコ商店街」でした。
トロッコ商店街の看板トロッコは、何と言っても伊勢孫本店です。
麹の製造販売店で、軌道は店先から敷地内へと延びてゆき、作業場を経由して裏山にある麹室までを結んでいました。
軌道の圧倒的な存在感を感じられるのが蒸米の運搬でした。

寒い冬の期間に麹は仕込まれます。
作業場で蒸された米を叺という袋に詰め込み、トロッコに積んで麹室へと運ぶのですが、行く手には裏山までの急勾配が待ち受けています。
この急坂を克服するため、ご主人お手製の機関車が造られました。
耕運機のエンジンを流用し、4軸の動輪を駆動させるという本格的な機関車です。
まさに急勾配の登坂に対応した設計でした。
麹室では運び込まれた蒸米を麹蓋に盛り付け、麹菌をかけて仕込みます。
麹蓋とは杉板で作られた番重状の箱で、このサイズを基準にして軌道のゲージを決めたそうです。
ただ、蒸米の運搬は冬場の早朝、それも仕込み日にしか行われません。

伊勢孫本店には幾度かお邪魔しましたが、この様子を見られたのはたった一度きりでした。
残念ながら伊勢孫本店は2000年頃に廃業し、店舗も作業場も何もかもが失われ、更地となっております。

同じ通りには軌道を有する店舗があと二軒ありました。
これがトロッコ商店街とする所以です。

砂糖の卸問屋だった内野屋砂糖店には平台車があり、1980年代の時点で現役でした。
その昔、最も繁盛していた時代には国鉄の貨車2両分の砂糖を仕入れていたそうです。
東金駅から牛車で運び、トロッコに積み替えて蔵に搬入していたと聞きました。旧き良き時代ですね。

食品卸問屋の八百平商店には車両はなく、軌道は既に廃線状態でした。
現況をストリートビューで観察すると、内野屋は影も形もなく、八百平はそれらしき建物が残されています。軌道はどうなっているのでしょう。

いずれにせよ、トロッコ商店街は遠い昔話になってしまいました。

※奇天烈トロッコでは伊勢孫本店のみを掲載いたします。
内野屋砂糖店の写真はサイトのみのボーナストラックとしてお楽しみください。



1983.12



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1982.2



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1983.12 内野屋



1983.12 内野屋



1983.12 内野屋





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