皆さんの工作台から

巻本さんからのお便り

2002/06/14
B「浜中のミルクカー」のバリエーションを増やした話
  浜中のミルクカーのゴンドラタイプは、側板の張り方で幾つかのバリエーションがあります。側板が下3枚と上1枚に分かれているモノが模型化されていますが、一度はそのまま素組していますので、今回は下4枚と上1枚のものと、上5枚のタイプを2種類作ってみました。下4枚と上1枚のものは、単に板を一枚増やしただけの様に見えますが、板の幅を少しずつ削って、隙間を余分に0.4mm稼いであります(そうしないと隙間が異様に少なくなります)。上5枚のタイプは、下部の隙間が板1枚の幅ではなくて、その6〜7割の幅であいている(実物の話)ので、その通りにしました。これは前々回の「浜中のミルクタンクカーのゴンドラ改造タイプ」でも同じです。床板のすぐ上に隙間をあける方法は、適当な厚みのアルミ板を挟んでいます。また当然ですが、これも板の幅を少しずつ削って、隙間を稼いであります。実物の上5枚のタイプのものは、側板と妻板の上部に、手すりというより補強?のパイプが取り付けられている(板との間に隙間がない)のですが、私は側板側だけ0.2mm程隙間をあけてあります。これは実物から受けた印象が「異様にサイドが高い」でしたので、さらにそれを強調するためでした。逆光で見た時は、シルエットで浮き上がることも理由の一つです。一方、逆に手抜きしたものもあり、1つは片側前後に各4本ある側板押さえ(実物は各3本)の数を変更しなかったことです。もう一つは、実物では側板押さえは、L型アングルのものと帯板のものがありましたが、柱はキットの物をそのまま利用しましたので、角柱のように見えます。でもそこまで手を付けるなら、キット改造より自作をした方が楽でしょうね。あとこのような形の足踏みステップは実物にはありませんでしたが、これがないと間が抜けたようになるので、不本意ながら付けてあります。
  写真には、林鉄滝越駅でのスナップも混ぜて有ります。「やまばと号客車」よりも少し大きいことが判ります。撮影のついでに、実物ではありえなかった「別海の」と幻の編成を組み、集乳缶と人物も乗せてみました。ここまでするなら、背景の色は緑にすれば良かったと後悔しています。さわやかな風の中、「今日は数が多かったなぁ。腕がここまでしか上がらんわい」と、大工の源さんと太平おじさんのぼやきが聞こえるようです。
  実物の思い出話:浜中の車輌は、木曾等の森林鉄道を見慣れた目には異様に大きく感じますね。また幌延町営等の道北の簡易軌道の可愛らしさと比較して、当時トキ15000を改軌した、くらいの印象がありました(ミルクタンクカーの方はタキ3000か)。茶内駅構内の明治乳業の建物脇にミルク缶を積んだ状態で留置されていましたので、(ミルクタンクカーや自走客車に邪魔されなければ)根室本線の列車から見かけられた方も多いのではないでしょうか。ゴンドラの特徴はなんと言っても側板なのですが、痛みが激しいのか側板が欠損していても平気で使用されていました(特に廃線間近)。ただ、板間の隙間や板の曲がりなどは、模型の0.1mmは実物の約1cmに対応するので、模型では完璧な程整然と板が並んでいる状態と言えるでしょうね。ここで見た集乳缶がいたく気に入ったのか、集乳缶に入ったバター飴を、模型の資料にとおみやげを兼ねて買って帰りました(実物はちょっとね)。


2002/06/13
A「別海のミルクカー」を実寸通りにした話
  お見せしてます車輌は、一度素組をしてみたものの実寸通りにしたくなり、あえなく「ガスコンロ行き」となった経歴を持ちます。まず62mm×27mmもある台枠の周囲を切断して、48mm×21mmまで縮小する必要がありますが、台枠の切り欠きパターンの関係で、縮尺した実寸より少しだけ大きく(51mm×22mm)しました。それに伴い台車間は11mm寄せています。これにより実物同様に、ボルスターと台枠の梁とタンク支えの足がほぼ一直線上に並びました。台枠はこの切断により極端に強度が減少しますので、1.2mmの角棒で梁を入れて下面から補強してあります。タンク本体は長さを7mmと幅を1.5mm詰めて、それに伴いタンク支え枠も1.7mm詰めてあります。実物に合わすのならば、長さは8.5mm、幅は2.mm詰め、高さは1mm増やす必要があるのですが、キットの部品の関係で上記の減になりました。あとは実物に合わせて、タンク傾斜角度の減少(実物の角度は元の模型の半分程度)、タンク支え枠の大きさを前後同じに(従って前後で上部の空き空間の量が異なる)、タンク下部に足を張り付けました。特徴あるバルブは、Oゲージのエアーホースです。バルブから突き出た長いホースは、連結器の先端まで車体を飛び出ていたので、模型でも異様に長くしてあります。後部のデッキは周囲の台枠から少し浮いていて、一段高くなった中の梁の上に乗っていましたので、それを再現しました。デッキは更に後方にも少し飛び出ているのですが、これはオーバーハングが長くなるので諦めて、台枠後部と揃えてあります。キット部品の寸法を詰めるのは結構苦労が多く、結果から言うと自作をした方が楽でした。
  写真には前回同様、林鉄滝越駅でのスナップも混ぜて有ります。この時はまだ製作途中でしたので少し雰囲気が異なります。でも不思議と木曾モノの中にとけ込んでいますね。さて、最後に、前回お見せした「浜中のミルクタンクカー(ガスコンロに行く前と同寸法)」と並べてみると、いかに「別海の」が可愛らしいか、差が良く判ります。「浜中の」のタンクの鏡板は横長で、「別海の」のそれは丸いことや、両者のタンクの傾きが大きく異なることも判ります。ただ、違いを再現できなかったところもあり、模型では連結器等の問題で両者の床面が同じ高さになっていますが、実物では「別海の」の方が腰が低いのです。両者をこの写真のように仲良く並べると、逆に「別海の」は腰高で違和感を覚えます。朝顔カプラーに変更して、ボルスターを削ってでも実物通りの台枠の高さに再現するべきでした。しかし、斜め上方から見た姿はデッキ部を除いて実物そっくりだと、自画自賛しています。
  実物の思い出話:しかし奥行臼は行きにくい場所でしたね。私は標津線の列車がないので厚床からテクテクと歩き、中間付近でC11の貨物(荷はワフ1台だった)を撮影後、やっと奥行臼に到着しました。駅舎に荷物を置き、すぐさま駅舎から西の方角を覗いて、私と同じように感激で疲れも吹っ飛んだ方が多いのではないでしょうか。ところで、タンク車後部のデッキは本当にチャチな作りでした。パイプで上部の周囲が補強されていたのですが、タンク本体側のパイプはタンクの上げ下ろし時にタンクが良くぶつかるのか、丸く下に凸で曲がっていて、デッキ全体も少し歪んでいました。ところで、この地は「最果て」の感があり、日の入りが早くて夕日が沈む頃には誰もいなくなり、風が吹く芦の原野の中にいるようで大変寂しい思いをしました。


2002/06/12
「巻本さんのアルバムから」でお馴染みの巻本さんから、模型の工作記事が届きました。流石に現役当時を見ておられるので、資料的にも良く御存知ですから、皆さんの参考になるのではないでしょうか?3回に亘って連載致します。(もりこー)
皆さん、お変わりはありませんでしょうか。
  「工作室から」の話題で、簡易軌道モノを3作お目にかけます。久しぶりに大阪で鉄道模型ショウがあったので、「何か最近作を持参してそれを肴にワイワイと」と考えていたところ、ちょうど今年の春は簡易軌道30回忌であることを思い出したので、キット改造での簡易軌道モノを選んだ次第です。
@「別海のミルクカー」を「浜中の」にした話
  「別海のミルクカー」のタンク部分は、浜中のミルクタンクカーの大きさで設計されていますので、逆にそれを利用して「浜中の」に復元しました。形態は実物の3種類の浜中タンクカーの内、「手すり付き」は廃線をまたずに解体されたことと、模型では細かい手すりが作りにくいこともあって、比較的作りやすい「長物車改造」と「ゴンドラ改造」に決めました。下回りは簡単に済ますために「浜中のミルクカー」の部品を利用しています(「長物車改造」の床板長辺側に床板押さえとしてリベット付き帯板を貼ったくらいです)。従って、アーチバーをそのまま履いていますし、「ゴンドラ改造」の方の側板押さえの柱は、片側前後に各4本もあります(実物は各3本)。一方、タンク部分は実物に忠実に、ハンドレールノブの数を増やし、タンク傾斜角度を増大(実物の角度は「別海のミルクカー」の模型の約2倍)させ、タンク床板の角は丸く、タンク下部にフレームとしてチャンネル材を張り付けました。特徴あるバルブには頭を悩ました結果、形は少し異なるのですが、Oゲージ用のエアーホースで解決しました。
  写真は大阪の鉄道模型ショウで、林鉄滝越駅に入線した時のスナップも混ぜて有ります。ミルクタンクカーとして考えるのなら、ここから「御嶽高原牧場への専用線が分かれていた」と仮想するのもよし、酒造メーカーが水や、製品である酒を運ぶために浜中町営の廃止後に当地から購入した、と想像するのも、また楽しいモノです。浜中の車輌は日本のナローとしては巨大だったので、林鉄モノと並べると一回り大きく(特に幅が)感じます。しかし、どこにどんな車輌を持ち込んでも、不思議とその情景にとけ込んでしまうのが、ナローの面白さですね。なお、写真のDLは「泰和製」の素組ですが、木曾森のDLが急速に増備される中、簡易軌道の機関車は不足気味で、現場から「不公平だ」と突き上げられています。早くMilwaukeeや加藤などが発売されると良いですね。
  実物の思い出話:その日は朝からもの凄い吹雪でした。それは、「ミルクを飲みに来ませんか」どころの話ではなく、私たちが便乗する機関車(混合ではなく貨物列車でしたので)が、茶内の構内で入換中に脱線した程なのです。道床に積もった雪をスコップでどけて枕木を出し、その上にジャッキをかましても機関車は重く、寒風吹きずさむ中ではなかなか作業がはかどるものではありません。時間が1時間,2時間と過ぎていく中、ついに機関車は、意を決したように、ポイントに合流する方向に向かって雪の上を(線路の上ではなく!!)走り出し、なんとポイントのダルマを跳ね上げて、轟音と伴に線路の上に復帰した(模型のリレーラーの要領でポイントを使用した)のです。その日、推進でこの模型編成と同じ2両のミルクタンクカーを押しながら、「パー」というタイフォンを響かせて、私たちの視界から去っていったのが、「簡易軌道」との永遠の別れとなりました。