もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−3
前回に続いてHP用の1975年5月30日に木曾森林鉄道を訪れた時の写真を送ります。この日のことは前もって新聞に掲載されていたので、当日は大変な人出になることが予想され、「人垣で写真が撮れるのかしら」と不安を残したまま、前日の夜に友人と車で出発して、早朝に上松に到着したものです。今回は「おわかれ」なので、その時代のトピックスとして見ていただければと思います。


@1975年は鉄道界に大きなイベントがあった年である。林鉄ファンなら「あなた1975-12-14に何をしていましたか?」という質問に答えられなくても、「1975-5-30」については答えられるハズである。そう、その日は「サヨナラ林鉄」の日である。記念列車のしんがりを務めることになったのは、木曾酒井C4トップナンバーのNo.122でした。写真はカマを車庫から引きずり出したところ。1975-5-30上松内燃車庫前


A写真は記念列車を牽引するために、1960年以来15年ぶり?に火が入った木曾ボールドウィンB1タンクロコ。上松の片隅で何年も冷たくなっていたカマが、本当に走るとは夢のようであった。もう一度、DLの補機付きで良いから、赤沢で走らせてみたいと思うのは私だけだろうか。1975-5-30上松


B久しぶりの走行のため、入念に手入れが行われたボールドウィン。我々鉄道に関する趣味を持つ者にとって、記念の日にカマを走らせようとした上松営林署の努力と熱意には、本当に頭が下がる思いであった。こちら側のボールドウィンの銘板は、心ないファンによって盗まれたために、付いていない。1975-5-30上松


Cこちらはボールドウィンのお尻です。当然のことですが、後ろの連結器の周りはかき取られていません。どうも模型を見慣れると、車体に直接付いている連結器には新鮮さを感じます。ところで、写真の左前方の人々の真剣な表情を見て下さい。ひょっとして、このHPを見ている方の何人かは、この中に若かりし25年前の自分を発見するかもしれませんね。1975-5-30上松内燃車庫前


D実は、製品化された上松運輸営林署の「木曾酒井モーターカーNo.5」は、その記念列車の露払いとして走る栄誉を担っていたのである。皆さんのレイアウトでは、新線が開通したら、是非このような飾り付けの記念列車を走らせてみて下さい。もっとも、鼻にあるキャップからあふれさせて、飾り付けの字幕を汚したところまでは、まねをする必要はありませんが。1975-5-30上松


E同日には「サヨナラ運材列車」も同時に運行され、その機関車は酒井C4のNo.130でした。No.130は、「SAKAI」の銘板が窓下すぐのところにあります。写真は折り返しで運材列車を牽引するために、単機で森林鉄道上松駅を出発するところ。1975-5-30


F上松全景。この位置から見ると、森林鉄道の構内図がよく分かります。国鉄上松駅に隣接して東貯木場があり、手前に森林鉄道上松駅、奥に西貯木場が見えます。写真右端には、客車庫に沿ってボギーDLなどの保存車輌が、シートを掛けられて一列に並べられているのが判ります。煙は走行中のボールドウィンB1タンクロコのもので、記念列車が「さようなら林鉄」の横断幕の下を今まさに通過しようとした時、当時最新鋭の381系「しなの」との出会いがあったのである。1975-5-30上松


G「さようなら林鉄」の現地式典会場。やはりすごい人出で、とても機関車に近づけるような状態ではなかった。とりあえず、これで一つの時代にピリオドが打たれたわけである。1975-5-30上松