もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−2
前回に続いてHP用の1974年11月14-16日に木曾森林鉄道を訪れた時の写真を送ります。この時は早朝に友人と車で出発して、途中馬籠と妻籠を見学後、上松へ向かいました。そろそろ森林鉄道本線がなくなるという話が出てきたので、やっと重い腰をあげたものです(1974年になると、国鉄の蒸気機関車の追いかけが重箱の隅をつつくようになり、時間的な余裕が出てきたこともあります)。この時は走行写真を主体に撮影を行うために、銀河書房の「木曾の森林鉄道」の巻末の列車ダイヤを持って行ったのですが、これは夏の最盛期のもので、通常期は半分くらいの本数でした。これは現地に行って現場で確認するまで判らなかったので、大失態でした。そうだと判っていれば、最初から観光などせずに直接行ったのに、と悔やまれます。本線がなくなる前までは、列車ダイヤが作成されて各駅に配布されていたので、大鹿でそれを見てその日の行動を決めることが可能でしたが、運材が突然列車ダイヤに割って入ることもありました。
今回は大きく分けて、@−Oの上松とP以降の大鹿に分かれています。


@最初はやはり鬼淵の木曽川橋梁(上松側)からです。末期の頃は車も渡れるように、路面は板張りで手すり付きでした。ところで、589.60 mの小数点第二位は何か意味があるのかしら?1974-11-14


A森林鉄道上松駅横の運材台車1035/1036。左側の1035には連結ドローバーがセットされ、右の1036には連結エアホースが輪になってステーにかかっています。この2両で1ユニットとなり長編成になります。ブレーキポストには発煙筒?通信筒?の様な物がついていますね。1974-11-14


B森林鉄道上松駅横に留置された、山へ向かって出発を待つ運材台車群。画面中央少し右に待合室が、左奥には機工課修理工場の屋根が見えます。1974-11-14


C小型貨車を利用した非常用車。この貨車は危険物専用車と同型で全面窓がなく、貫通ブレーキを持っていませんでした。戸は吊り戸で、上に滑車がみえます。また乗工社から製品化された小型有蓋貨車よりは、サイズが一回り大きかった。1974-11-14


D2年前にみやま号の客車だったB型客車No.4は予備車となり、No.16の方は足まわりをはずされ物置と化していました。右端には客車庫が、左端のA型ゴンドラの左には鬼淵の木曽川橋梁が少し見えます。1974-11-14


EA型ゴンドラのアップ。A型ゴンドラも貫通ブレーキを持っていませんでした。この時、内部はシャベルなどの土木工具が無造作に投げ込まれていました。ゴンドラの左端に注目すると、側面からの板の方が長く、それに妻面の板をつきあてて、箱にしているのが判ります。後方はC型6です。1974-11-14


F岩崎レール製運材台車775/776に積まれた木材。連結ドローバーにはピンが入り延長されているのがわかるでしょうか。また構内に留置してある時には、木材を積んでいる状態でも、運材台車は連結エアホースを取り外しているのが普通でした。運材台車の内側(連結ドローバー側)にも、50 cmくらいのエアホースが付いていて、この先に連結エアホースを接続します。しかし模型では、エアホースの先に連結エアホースをハンダ付けすると、カーブが曲がれなくなってしまいます。でも、ディスプレイ用のB型客車などは、是非実物通りにしたいですね。1974-11-14


Gのどかな昼下がりの森林鉄道上松構内。2年前には、このあたりはさらに留置線が何本か存在していましたが、相次ぐ廃線の影響で木材伐採量が減少したのか、線路が撤去されてしまいました。2年前は数多い留置線の横に所狭しとうずだかく木材が積まれていたので、まるでミラーハウスの中にいるように、出口や自分のいるところがわからなくなり、撮影のために肩からおろした荷物を探して、構内をさまよい歩いたのですが、2年後はそれがまるで嘘のように、地面が広がるだだっ広い構内に変貌していました。間近に迫る廃線をこの光景から読みとることができます。1974-11-14


H上松の協三工業製自走式クレーン車No.7。しかし、ナローとは思えないほどその車体は大きかった。1974-11-14上松西部貯木場


I森林鉄道上松駅に到着した区間列車。このB型客車No.17はドアの位置が点対称になっていて、ブレーキカバーのある方の扉の窓は磨りガラスでした。車体は2段窓のC型客車を、長手方向に2倍引き伸ばしたような特徴ある構造で、アーチバーを履いていました。1974-11-14


JIの反対側。DLは木曾酒井5t No.118です。右端に上松駅の駅名標が見えます。1974-11-14


K、Lは上松内燃車庫前に停車中の No.99 の型式写真です。エンジンのすぐ左にタイフォンが見えています。ナローの凸形DLは非常にめずらしいのですが、問寒別に続いてこれも模型化されようとしています。いつも上松駅と西部貯木場の間を、国鉄との3線区間を通って行き来していました。1974-11-14


M右端に「昭和34年製造、協三工業株式会社」のプレートが付いた鋼製運材台車No.705です。鋼製とは言っても木部はあり、ハイブリッド構造になっています。1974-11-14


N連絡員室付き大型B型客車No.3の連絡員室側です。外観は黄色の帯以外は他の大型B型客車と同じでした。あと半年ほどで廃車になるので、妻面の羽目板が痛んでいてもそのまま放置されていました。1974-11-14上松


O「みやま号」を牽引して上松到着後、内燃機関車庫で明朝の出発準備のため、すぐに点検を受ける木曾酒井C4。寒冷期にはラジエターグリルにカバーが掛けられて過冷却を防いでいました。1974-11-14上松


P大鹿に留置中の「非常車」は一段昇降窓のC型No.2です。この車輌はかなり状態が悪いのか、両妻面側に内部から筋交いが入っていましたが、外観は他のC型客車と同じです。またこの車輌は貫通ブレーキを持っていません。後ろは大鹿林道合宿所です。1974-11-15大鹿


Q後ろ妻板が木製3枚戸の酒井5t DL No.92。木曾酒井DLの後ろ妻板は2枚戸だけではなく、このように3枚戸もありました。後ろの運材台車はめずらしく黄色に塗装されていました。この場所は夏以外陽が当たらないので、霜が車体にびっしりです。1974-11-15大鹿


Rのどかな昼下がりの大鹿構内。15番線まである大鹿構内は、かつては何本もの運材列車が構内に留置され、次々と上松めざして下って行ったであろう光景を最後まで伝えていた。建物は左から車庫、合同事務所、大鹿林道詰所、大鹿林道合宿所、内燃機関車庫が並んでいます。ぽつんと塔のように建っているのが信号所兼事務所です。1974-11-15


S大鹿に留置中の「土運車」。写真で左端面に見えるレバーは右端面固定用です。1974-11-15


21.木曾酒井C4ラストナンバーのNo.140です。この車輌には「SAKAI」のエンブレムがありません。運転席下のフレームを貫いてイコライザーが反対側に延びていることが判ります。1974-11-15大鹿


22、23「木曾のカブース」という愛称をもらった制動車です。木製運材台車を利用したために、本体の長さは幅の2/3程しかありません。また前後のデッキの長さが異なり、ホイルベースの中心と車体の中心がずれているので、ホイルベースに対する異常なほどの背の高さと相まって、非常にユーモラスな形をしています。しかし、ホイルベースの長さと背の高さを考慮すると、その乗り心地はさぞかし悪かったと思われます。「みやび」のように、余部の鉄橋で風速25 mの横風を受ることはないでしょうが、台風が去った後はあちこちの構内で横倒しになっていたのかもしれませんね。写真は唯一、台車が担いバネ式に交換されたNo.4。1974-11-15大鹿


24、25.大鹿に留置中の「除草剤散布車」。ブレーキポストは初期の運材台車のように円筒形です。上のレバーは薬液の流量調節用です。同型車は立山砂防でも使われています。合同事務所の前には暖房用の薪が積まれ、冬の準備が着々と進んでいることが分かります。1974-11-15


26.大鹿に留置中の「No.1」。この車輌は有名な貴賓車と同型で、ベンチレーターがないなど、より原型を保っていました。写真右端に見えるY型の棒はタブレット受けで、「大鹿−滝越」のタブレットがかかっているのが判ります。でも、こんな所に掛けっぱなしにして良いのかしら。1974-11-15大鹿合同事務所前


27.木曾酒井C4トップナンバーのNo.122です。C4の「SAKAI」のエンブレムの高さは車輌によってまちまちでしたが、この車輌はそれが塗り分け線上にありました。また台車枠後方にカバーがありました。写真左にはガソリン計量器が写っています。1974-11-15大鹿


28.後方から突然来たので、大慌てで振り向いて撮った1枚。満員だったので、キャブに乗らなかったスコップをラジエターグリルの前に立てかけてあるのが面白い。前妻面ボンネットの上がHゴム横長1枚窓の酒井DL、というのはなぜか木曾では少数派でした。王滝村有のやまばと号用機関車。1974-11-16大鹿−下黒沢


29.前妻面ボンネットの上が正方形2枚窓の酒井5t DL No.95。ちなみに私はこのタイプが木曾酒井の中で一番好きでした。後ろのB型客車は俗に助六型客車と呼ばれていますが、こうして本線を走ることもありました。1974-11-16大鹿−下黒沢


30.大きな工具や部品でもわざわざ貨車をつなぐほどの量がない場合には、このように機関車のボンネットにくくりつけられ運ばれることもあった。前面2枚窓で、木曾ではめずらしくヘッドライトがラジエターグリルに2ヶ付いている酒井4.5t DL No.76U(もとNo.74)。1974-11-16大鹿−下黒沢