もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−1
ワーゲンクラブの会員で京都市在住の巻本彰一さんから、多数の写真をお送り頂きました。いずれも現役時代の貴重な写真。数回に亘って掲載しますので、モデリングの参考になさって下さい。(もりこー)

巻本彰一です。まず、なりそめから自己紹介しますと、私は1970・72・74〜78年に木曽森林鉄道(現役のみ)を訪れています。TMSの北市正弘さんの記事がきっかけだったように思います。1970年は乗り換えのわずかな時間でしたので、模型の資料用も兼ねて、1972年から本格的に訪れています。

 そこで、第一回目のHP用に、1972年1月4日に木曾森林鉄道を訪れた時の写真を送ります。この時は1月3日の夜行「ちくま」で出発しました。夜中に中津川で下車後、北恵那電鉄中津町でバルブ撮影で一番列車まで時間をつぶし、落合川でD51を撮影後、上松へ向かいました。1月4日に木曾森林鉄道を訪れた理由は、正月で多くの車輌が上松に集まっているのと、1月4日から御用始めなので「一度にたくさんの車輌が動いているのが見られるだろう」との目算でした。ところが、実際は新年御礼会で林鉄は休みで、DLはすべてシャッターが閉じた車庫の中で見られず、もう一つの楽しみだった中央西線のD51重連の「臨急ちくま」は、本務機がDD51に置き換わっていてさんざんな一日でした。なお、撮影場所は全て森林鉄道上松駅構内です。


@運材台車を利用したゴンドラで、荷は古枕木です。このタイプのゴンドラ(A型ゴンドラのようにボルスターで運材台車と車体がつながってはいないという意味)のステーは、開かないように元受け部が固定され、またゴンドラ側部に「くさび」が入って、ゴンドラ上部が固定されているのがわかるでしょうか。単にゴンドラ上部を運材台車に乗せる構造では不安定なため、その用途は限られるようです。ところで、交換した古枕木は何に使うのでしょうか?風呂の薪にでもするのかしら?


A丸瀬布へ行ったB型客車No14の上松での姿。乗工社の模型では1段雨トヒですが、実物は2段です。 後方は運材台車と、うずだかく積まれた木材です。この当時は伐採量が多かったことが判ります。


BこのB型客車No18は王滝営林署所属ですが、田島から上松へ出張してきたようです。このB型客車も3段雨トヒです。色はほとんど木の地肌の色になっていましたが、この後リニュウアルされ見違えるようにきれいになります。この客車はこの当時1029/1030の運材台車を履いていましたが、西さんの「木曾谷の森林鉄道」では1089/1030となっていますので、後のリニュウアル時に、B型客車No9の1089/1090から片方の台車を振り替えたようです。左側にはE型3の妻面が写っています。


C森林鉄道上松駅に留置された大型B型客車No15、これも2段雨トヒです。このB型客車(No16もですが)は妻面上部にハの字型に補強が入っているのが、他のB型客車とちがうところです。側面には「みどり号(大鹿−上松)」のホーロー看板が付いています。みどり号は運材で走る日と客車の日が、曜日により分かれていました。国鉄上松駅は写真の左手に位置しています。後方はB型客車No7です。


D大型B型客車No4はなんと3段雨トヒです。Oナローをされている方はここまで凝ってほしいですね。「みやま号(本谷−上松)」のホーロー看板が側面に付いています。右後方に写っているのは、うずだかく積まれた交換用枕木です。この当時は廃線になるというような雰囲気はまったくありませんでした。左側にはE型2の妻面が写っています。


E職員専用列車も不定期に走っていて、客車には「安全」と「緑十字マーク」が入っているのが特徴です。職員専用客車は状態が悪く、後ろのアーチバーを履いているB型客車は王滝田島No14で、羽目板がボロボロで悲惨な状態でした。後年リニュウアルされますが、この時は「廃車回送されて、解体待ちか」と思ったほどです。前の車輌にはNoの表記が見あたりませんでしたが、西さんの「木曾谷の森林鉄道」では所属不明になっていた、大型B型客車No13と思われます。標記からは「本谷第二」の所属となっていますが、以前は本谷は2つに分かれていたのでしょうか?何か第二というとC59やC62のいた広島第二機関区などのりっぱなものをつい想像してしまいますが。


FE型3と手をつないだC型3。となりは運材台車の上に乗った集材機です。車体右の妻面から側面下を通って後ろへ延びているパイプは貫通エアホース用です。この客車は後年、大鹿に移動しています。


G小型貨車を利用した危険物専用車。車体は黒色、帯は白色であった、と記憶にあるのですが、文字は黒だったのか、赤だったのかは覚えていません。この貨車は貫通ブレーキを持っていません。危険物専用車は全面窓がなく、乗工社から製品化された小型有蓋貨車より一回り大きいのですが、それでもこの当時はずいぶん小さく見えました。



H、I、JはE型貨車No1,2,3です。3両とも側面と妻面の形態が異なります。E型1は吊り扉で妻面手すり上方、E型2は扉の下部に滑車があり妻面手すり下方、E型3は雨トヒに滑車がかかり、妻面手すり上方です。滑り戸受けの長さと、支えの数もNo1と3で異なります。乗工社の模型は一番スマートなNo2ですね。無骨さではNo3が一番ですが、森川さんならどれが好みですか(ハイ、僕はNo.3がイイですネ byもりこー)。ちなみに木製運材台車だった下回りは、この当時までに鋼製に振り返られています。吊り扉の白い札には「揮発油、灯油類積み込み厳禁」と書かれています。No3は1093/1094の運材台車です。


Kは初期の協三工業製鋼製運材台車です。よくブレーキポストを見て下さい。ブレーキポストの後方、木材との間にある輪は連結エアホースです。通常、構内に留置してある運材台車は、荷のあるなしにかかわらず、このように連結エアホースをはずしています。この当時、まだこのような初期車が残っているとは思いませんでした。番号は257/258です。


Lは富士重工業製鋼製運材台車です。ブレーキポストに白帯が塗られ、番号はなんとNo77と83の2桁の若番なので思わず写真に撮りました。しかし、安く模型化できそうな簡単な構造ですね。


M、NB型客車の側面に付いている「みやま号(本谷−上松)」と「みどり号(大鹿−上松)」のホーロー看板です。「みどり号」は習字のお手本のように上手に書かれています。書いた人が違うのか「み」の字の書体が異なります。まあ、模型のデカールくらいの大きさでは書体の違いはわかりませんが。


O手動ターンテ−ブルですが、回すつかみ棒がありませんので、ピットの中に入って車体を手で押したのでしょうか?ターンテ−ブルよりももっと気になるのが、奥のキャブが半開放型になったDL?(ロードローラー?)ですね。でも、残念ながら写真はこれ1枚しかありません。