もりこーの木曽路日記

特別寄稿 天羽さんのアルバムから−1


ワーゲンクラブ会員の天羽さんから、投稿を頂きましたので、数回に亘って御紹介しようと思います。最初に木曽入りしたのが1976年中学生のとき。当時は110(ワンテン)カメラを使っての撮影でした。2回目に訪れたのが翌年の夏休み。中学生の友人と助六まで入っています。3回目は1979年で白川線へ至る線路の撤去に立ち会っています。4回目は長野県西部地震の傷跡もまだ残る1985年。このときはバイクで小俣線の跡を訪ねています。
 撮影機材はネガサイズが13x17mmのワンテンカメラ(普通の35mmカメラの約1/4の面積)という簡素なものですが、行動力のある若者の手によって収められたカットの数々は、今となっては大変貴重なものとなっています。

その1 まず最初の上松行きです。恐らく1976(昭和51)年だと思います。前年の昭和50年が王滝本線の運行終了です。
 工程は、母方の実家が辰野(最寄り駅は飯田線伊那新町)で、友人と一泊したあと、早朝の飯田線で辰野まで行き、急行天竜1号で塩尻に出ています。このころの天竜1号は唯一の80系急行でした。
 中央西線で(これも80系)で上松に行き、駅裏手の林鉄ヤードに行ってます。たしか土曜日であったと思われ、作業はしていなかっと思います。実際、98か99号機が出してあったのですが「今日は動かさない」と言われたと思います。そのとき、職員から「奥の方は動いているよ」といわれ、「木曽福島からバスが出てる」(田島のこと)との話から、一旦、木曽福島に移動しています。バスの時刻を調べ、往復する余裕がないことがわかり断念しています。
 その後、また上松に戻り、駅前の日通事務所で貸し自転車を借り、線路跡を桟まで行ってます。レールは鬼淵から先、撤去されていました。途中の製材所引き込み線はレール未撤去でした。桟の貯木場構内のレールは残っていたと思います。桟から先はレールが残っており、自転車を降りて王滝川沿いに軌道が進むところまで見に行ってます。写真は桟の貯木場から少し進んだところの軌道の様子です。あと、このときは庫内のBLWも見せてもらってます。
 他の機関車については、記憶が定かでありません。夕方の中央線で撤収しています。このときはプレスアイゼンバーンの「木曽森林鉄道」を知る前で、よもや「動いているよ」というのが助六のこととはまったく知りませんでした。