もりこーの木曽路日記

平成12年6月4日
本当は一週間おき位に訪問しようと考えていた木曽路ですが、体調をくずしたり珊瑚の出店があったりして今日になってしまいました。楽しみにしていた方、ごめんなさい。デジカメのバッテリーも、昨晩バッチリ充電しておいたし、F3Pにはプレスト400を10本持ったし、準備万端です。前回同様、穂高→奈川村→薮原のルートを使って木曽路入りをしました。但し、今回はぐっと南下する予定だったので、薮原のモーターカーは脇目で存在を確認するだけにとどめました。先が長いですからネ。

  今回のメニュー
@寝覚めの床:酒井製凸形DLNo.99、酒井製ロータリーDLNo.120
A関西電力須原発電所:関西電力加藤製DL、岩崎レール製2軸客車
B大桑村ビジネスホテル前:E型貨車No.3
C大桑村建設機械置場:岩崎レール製モーターカー、カブース
D福沢桃介記念館:酒井製DL(板軸バネ式)、運材台車各種
E阿寺渓谷砂小屋キャンプ場:大型B型客車、カブース(オフセット型)


その1
 @まず、最初の訪問地は有名な寝覚の床です。寝覚の床とは浦島伝説に由来しているそうで、浦島太郎が龍宮城から帰ってから、ここに住んでいたところから命名されたそうです。それはともかく、その寝覚の床の上松町営駐車場から遊歩道になっている途中に、2台の機関車が保存されています。1台は前回訪問した三岳小中学校の凸型DLと兄弟機で、1番違いのNo.99です。もう1台は同じく酒井製のロータリーDLで、以前赤沢に保存されていたものですが、復活運転開始に伴いこちらに移転してきました。ところが可哀想なことに、肝心のロータリー部分は赤沢に置きっぱなし。生き別れになってしまいました。軸配置がB−1(キャブ側が前位なのでこうなる)と変わっており、ちょうど当社で以前発売した"浜中のロータリーDL"と同じですネ(写真では見難いですが)。


 A次なる訪問地は、関西電力須原発電所です。関西電力は王滝森林鉄道の軌道を借りて、ダムの資材運搬や管理をしてきました。車輛はもちろん自前でした。そんな仲間も保存されているのです。林鉄の機関車は酒井製が多いのに対して、こちらは加藤製がメインという対比も面白いですネ。客車は岩崎レール製で、C型客車よりもひとまわり小さい大きさです。室内に入ってみてビックリ。窓の上部にはヒラヒラの飾りが付いているではありませんか。妙に感心してしまいました。妻板のハンドルは手ブレーキ用です。

その2
 B更に南下して行きます。国道19号線が大桑駅を過ぎてすぐ、名古屋方面に向かって右側、廃業してしまったビジネスホテルの前に、E型貨車が保存されています(というか物置として使われていたようです)。状態は倉庫としては結構良くて、貴重なE型としてじっくり見学できます。

  C更に更に南下して行きます。野尻駅を過ぎて野尻の信号を過ぎてすぐ、右側にJOMOのガソリンスタンドがあります。その前(つまり左側)に建設機械の置場があり、そこに岩崎レール製モーターカーとカブースが保存されています。ここの保存方法は変わっていて、裏山の中腹にレールを敷き、そこに飾って(まさに飾って)あるのです。話では、ガソリンスタンドの社長の持ち物だそうで、それなりに愛情が感じられる保存方法です。しかし保存状況は中の下で、今後どうなるのか不安です。撮り方によっては雰囲気が出るでしょ。

 Dしつこいようですが更に更に更に南下して行きます。もうすごそこは岐阜県です。南木曽駅を過ぎてすぐ蘇南高校の矢印がある橋を渡ったところに福沢桃介記念館があります。福沢とは電力王だそうで(よく判っていない)その功績を後世に残す目的で作られたそうな。我々にとってはむしろ、貴重な酒井製DLが保存されている事が重要なのです。というのは、ここの酒井は軸バネが板バネ式でSAKAI WORKSの文字が台枠のセンターに無いタイプなのです。このタイプはNo.55〜64にあたり珍しいもの。保存状態はとても良かったです。後ろには各タイプの運材台車を従えています。

 Eここで踵を返して北上します。野尻駅の手前で、阿寺渓谷への矢印がありますので左折します。木曽川を渡る阿寺橋はクルマがすれ違うことの出来ないような狭さです。思えば阿寺森林鉄道の廃止は昭和41年ですから、34年も前なのですネ。林道を進むと途中、雰囲気の良い鉄橋が残っていたり、レールを再利用したガードレールなどがありました。保存場所はずっと奥の砂小屋キャンプ場です。

その3
 E砂小屋キャンプ場は、本当に山の奥の奥にありました。特に困るような分岐が無かったので、さほど心配はしなかったのですが、それでもイイのかなア?というような山奥にありました。かといってダートコースではないので、普通乗用車でも大丈夫。目の前がパッと開けると、目指す砂小屋です。木立の中に車輛は保存されていました。例によってカメラを構えていると軽トラが脇に停まり、ひとりのオジサンが。様子を見ていると、側板の浮いた木を釘で止めているではありませんか。「あのう、この客車を管理されている方ですか?」答えは、このキャンプ場は国有地で、この方は国から地所を借りてキャンプ場を営業しているそうな。営業開始にあたって、何か御当地のものをと考え、村に相談して、B型客車とカブースを村から借り受けたそうです。つまりこれらの車輛の所有者は大桑村。しかし、ふとどき物がキャンプの薪にと木造車の羽目板を剥がしてしまうらしく、裏側の側面はもうボロボロ。カブースのブレーキハンドル枠なども完全にグラグラ。このままでは危険なので、村に返還したいそうなのですが、村としても今更返されても困る。解体するのもお金が掛かるし、くず鉄代にもならないし、ということで、「あんた持っていかないかねエ」とまで言われてしまいました。ウウム。そんな訳で、ここの車輛は落城間際って感じでした。B型大型客車は板バネ式台車を履いている他はこれといって面白みはないのですが、カブースはブレーキマン室が台車の中心からずれているタイプで貴重な存在。ここからチョット奥に謎の車輛が。物置として使っていたようですが、屋根がやたら深いんです。屋根Rも特徴あるし、貨車でもC型客車でも、このようなRの屋根は見当たりません。どなたか御存知の方はいらっしゃいませんか?
さて、次回でこの「もりこーの木曽路日記」は、とりあえずオシマイ。いよいよ保存車の宝庫"赤沢"へ乗り込む予定です。ボギーDL、モーターカーや理髪車を設計するにあたり以前訪問した事があるのですが、やはり楽しみです。では。




余談:訪問した翌日の地元新聞(市民タイムス)に、下のような広告が載っていました。ミス木曽募集ねエ。信州は観光地が多いだけあって、ミスXXというのがとっても多いんです。