くびき野レールパーク☆2017


昭和46年5月に廃止された頸城鉄道の百間町機関庫の跡地を利用して平成20年10月にオープンした「くびき野レールパーク」を、平成29年10月15日に訪れてきました。
 ここでは奇跡的に保存が「発見された」貴重な車両たちが「NPO法人 くびきのお宝のこす会」によって保存・運営されています。
 新車のようにフルレストアされて新車のように輝く車両たちが生きている姿で保存されているのですから、こんなに素晴らしいことはありません。
 年に数回、公開運転会が催されていて、「頸城のDC92」の模型化で一か所だけディテール的に不安な箇所があったので、それを確認するため、晩秋の頸城を目指しました。




 

当社からこの地へは長野道〜上信越道〜北陸道といった高速道路を利用するのが一番早く、距離で約150km、時間にして1時間半ほどで着いてしまいます。
 土曜は仕事日でしたので、日曜に出掛けたのですが(まあ、この取材も仕事ですが・・・)、前日はまずまずの天気だったものが当日は小雨模様。
 しかし、会場に着いたときはその雨も上がりラッキーでした。


 

ここにはコッペル2号機、DC92、ホジ3、ハ6、ニフ1、ワ7、ワ14、ト5が保存されていて、いずれもとても綺麗にレストアされています。
 ただ、残念なことにコッペルは自走不可能で、煙室で薪を焚いて煙を出しているような状態ですが、他の動力車は自走可能です。


 

ちょうどボクが着いた11時過ぎはもうじき運転が始まるところで、ホジ3がスタンバっていました。
 その走行シーンはこちらを御覧ください。よく整備されているからか、床下排気は限りなく透明に近いですが、エンジン音が在りし日を彷彿させてくれます。
 乗車希望者にはこのような硬券が記念に渡されるサービスぶり(^^♪。


 

コッペルは自走できませんから、DC92に押されながら、ト5やハ6にお客さんを乗せて運行。
 係の方の運営もなかなかスムースで、気持ちよく乗車体験や撮影を楽しむ事ができます。
 いくらボディーは復元されたものとは言っても、足まわりは当時のものですから、乗り心地も当時のまま(^_-)。


 

ちゃんと撮影の時間も設けられていて、その間は機関車のキャブの中にお客さんを入れない、などの心遣いもされていて、正に至れり尽くせりです。

 

年末、もしくは年明け早々には製品化されるDC92。小さいながらも存在感があって、しっかり作ってやれば堂々とした模型になると確信しました。
 キャブの中にも入れさせて頂き、DD13式に横向きで運転するのではなく、運転台が前後点対象に装備されていることも確認。


 

客車は残念ながらこの2軸車1両しかありませんが、ホハもあってくれたらなあ、というのは欲張り?
 車内も綺麗に整備されていて、保存鉄道はこうあるべき、といった気骨を感じさせてくれました。


 

郵便荷物専用車ニフ1。この車内では紙芝居がボランティアの手により演じられていて、子供たちも楽しめるようになっていました(^_-)-☆。
 無蓋車ト5。一見地味な存在ですが、側板の内側の構造など、しっかりと確認してきました。
 ただ、原型の側板と妻板との高さは同じだったのに、レストアされた時に何故高さが違ってしまったのかが不可解です。


 

頸城鉄道開業時に用意された有蓋車で、鉄板張りに改造されたワ7。たまたまコレクターの手に保存されたのでしょうが、どういう意図でこれを選んだのかを訊いてみたいものです。
 こちらはワ7よりもだいぶ小振りなワ14。魚沼鉄道→国鉄魚沼線からの譲渡車で、車輪径も小さくてプレート。


 

売店で売られていた沿線案内図の復刻版。印刷年は記載されていませんでしたが、恐らく戦前のものでしょう。
 地元・頸城の和菓子屋さんのお店では「コッペル饅頭」というのを売っていたので、これもお土産に買って帰りました(^^♪。
 薄皮饅頭で表面にコッペルの焼き印が押されているもので、コッペルを食べてしまうなんて恐れ多い?(^O^)?



これが沿線案内図を広げてみたところです(図をクリックすると拡大されます)
 左の河口の集落が直江津の街で、隣りの黒井駅の前の新黒井から保倉川に沿って浦川原まで頸城鉄道が伸びていた様が紹介されています。
 明治村や飯室の辺りの街道にはそこそこ集落があって、浦川原周辺には桜の名所などがあった事が判ります。
 直江津は今では上越市と名前を変えてしまいましたが、上杉景勝の名家老・直江兼続の出身地で、直江郷の湊があった事から直江津となった地。
 このように由緒ある地名が無くなってしまうのは、何とも寂しいものです・・・。