10月21日*標茶へ、鶴居へ



 

21日は標茶町立図書館へ行き、以前ご提供を受けた資料の再検討です。
 かなりな点数の写真を複写しなければならないだろうと覚悟して行ったのですが、町史編纂室の岸田さんは何と所蔵している写真をCDに焼いて用意していて下さいました。
 思えば24年前に各地で資料集めをした際には、フィルムカメラとマイクロレンズを持参して複写をしたものですが、かくもかようにこの世界でもデジタル化が進んで、貴重な資料はこのように管理されていることが良く分かりました。


 

 

もしかしたら夕方まで作業が掛かるのではないかとさえ思っていたのですが、意外と短時間で当初の目的を達せられたので、5年前に訪問した遺跡を辿ってみる事にしました。まずは街中の開運町停留所跡から。
 広い構内には建物が点在していて、往時を偲ばせてくれます。構内の中央には事務所兼待合室がそのままの形で残っています。


 

 

4線式機関庫もそのままの形で残っています。正面から見た写真で、ボクが立っている辺りにはターンテーブルがありました。

 

 

開運町の次は沼幌停留所跡へ。中オソベツ停留所から分岐した沼幌への沼幌支線は1966年に開通。しかし僅か4年後には廃止になっています。
 藪を掻き分けて行くと駐泊所と軌道事務所兼待合室の建物が残っています。


 

 

駐泊所の中に入ってみると、ピットや枕木を剥がしたコンクリートの凹面がクッキリと残っていました。
 僅か4年しか使われなかったからか、事務所の建物は廃止後51年経ったとは思えないほどシッカリしていました。


 

 

中に入ってみても、さほど痛んでいなくて、内装を整えればまだ使えそうな感じすらしました。

 

次は鶴居村営軌道の上幌呂停留所跡です。左の写真でボクが立っている辺りにはターンテーブルがありました。
 機関庫の隣りの軌道事務所だった建物は、今は近所にある消防分団関連の用途に使われていました。


 

 

明らかに2線式機関庫のシャッターだった間口を塞いだ様子が見てとれます。

 

最後に立ち寄ったのは鶴居村の「ふるさと情報館」。
 以前、ここにある図書館で所蔵している「簡易軌道写真帖」の表紙カバーが痛んでいたので、代わりのものを送らせて頂いたのですが、「その後お変わりありませんか?」と確認のために寄ってみました(^_-)。