よもやま話

2018/09/28 軽便祭に向けて

今度の日曜日は軽便祭が開催されるのですが、正月の「大風呂敷」と共に、その後の製造予定を当日お配りするリーフレットに書くのが恒例になっています。
 正月の大風呂敷に掲げた製造予定品の数々は、既に発売したか受注中になっているので、この段階でもう一度予定品を発表しようという事です(^_-)-☆。
 そのひとつがこれ「尾小屋のホハフ6」ですが、他の客車と同様に三重交通から譲渡されてきたものですが、この客車は合造車ではなく前後対称の整ったスタイル。
 しかも、大き目の窓は解放感があって、他の客車にはない魅力を持っています(^_-)。
 他にも色々と発表しますのでお楽しみに(^^♪。
 このリーフレットは軽便祭のあと一定期間、製品の発送時に同封させて頂きます。

2018/09/26 奥行臼

 

道東に行く度に立ち寄るのが奥行臼(おくゆきうす)です。奥行臼は国鉄標津線にあった駅で、この駅前から別海村営軌道が出ていました。
 ボクはこの駅に1974年の夏休みに降り立ったことがあり、その目的は1日1往復走っていたC11が牽く貨物列車の撮影。
 前の晩に標茶の駅前旅館に泊まり、6時35分発の始発に乗って中標津で厚床行きに乗り換え、この駅に着いたのが8時45分、という所までは当時の時刻表で判ります。
 しかし、目的の貨物列車が何時に通過したかまでは記憶になく、この駅から厚床まで乗った列車が17時45分発なのですが、その間にあるキハ22の旅客列車は14時20分と15時34分の1往復のみ。
 列車本数が少ないローカル線とはいえ、最高レベルで非効率的だったことは記憶に鮮明に残っており、駅のベンチで昼寝をしたり、駅前にあった雑貨屋でアンパンを買って食べたりして時間を潰していたものです。
 別海村営軌道の廃止は1971年3月末日ですから、この時には廃止されていたとは云うものの、何しろ昔は情報に乏しく、まさかこの駅前に線路が入っていたことなど想像だにしませんでした。
 駅から少し離れた場所には、今でもターンテーブルや機関庫が残っているのですから、当時も当然あった筈ですし、駅前の草地を歩けば草に埋もれた線路を発見できたかも知れません。
 しかし、知らないという事は恐ろしいもので、ただひたすら昼寝をしていた自分が情けない思いです。
 職員宿舎だった建物には、ボクが「簡易軌道写真帖」のために書いた構内見取り図を大きく拡大コピーしたものが貼られており、それを今回も確認してきたのですが、この見取り図を見る度にいつも残念な思いがよぎります。

2018/09/07 北海道取材旅行

この日付で明後日から北海道に取材旅行に7泊8日の予定で出掛けるつもりだったのですが、皆さんも御存知のように6日未明に最大深度6強の地震が起きました。
 北海道には多数のお得意様がいらっしゃるので、その方々の安否が心配なのですが、ボクは新潟港から小樽港へフェリーで渡って全道の海岸沿いに走って、各地の郷土資料館を訪ねる予定にしているので、道路が不通になっていないかが心配です。
 いま盛んに情報を集めていて、最終的にはキャンセルも含めて明日決めようと思っています。
 熊本地震の時にはちょうど阿蘇のホテルで震度6弱を経験しているだけに、またかよという感じなのですが、もしも行ったにしても余震が起こらないかが心配されます。