もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−6
 私は鉄道写真を模型の資料的に撮ることもあって、現在まで未だにモノクロ派なのですが、木曾森林鉄道については少しだけカラースライドでも撮影しています。今回は、皆さんがお待ちかねの木曾森林鉄道のカラー写真に、モノクロの走行写真を少し加えて計20枚を選定してみました。但し、モノクロの走行写真は数多く撮影しているので、全てお見せするとキリがありません。そこで「本当はカラーでお見せしかったのですが、露光条件やその他の事情でモノクロとなってしまった走行写真」と「編成的に興味があるもの」を少し混ぜてお見せすることにします。

 走行写真についてですが、今更、撮影地ガイド的な話をしても仕方がないのですが、木曾森林鉄道王滝本線は平均して山の北側を走っているために撮影には悪条件でした。光線状態の良い所を列挙すると、小島付近の王滝川沿い、二子持付近の御岳湖沿い、氷ヶ瀬−下黒沢の日向淵、滝越−一ノ瀬間でした。もう一つ、終点本谷−土浦−堤防上間の三浦湖沿いはカナディアンロッキーのような素晴らしい風景なのですが、撮影の足場と現地へ行く足がほとんどないことと、撮影可能な列車本数が少ないため、ほとんど写真が発表されていないのが残念です。

 ところで、今回のHPのために久々にカラースライドを保管箱から取り出したわけですが、経年により色調は変化し、ピントは甘くなり、カビにまで喰われていました。同じように保存しているモノクロのネガと比べると、カラースライドの方がカビに喰われやすく、また早くピントが甘くなっていくようです。ダイレクトプリントの時、色調の修正を依頼したのでサマになりましたが(修正するとダイレクトプリントの意味がない?)、甘くなったピントはどうしようもありません。このような駄作を皆様にお見せするのは「赤面もの」なのですが、王滝本線はカラーでの発表が少なく、シーナリーの製作などにも役立つと思われるので、恥を忍んで皆様にお見せする次第です。


@最初はやはり鬼淵の木曽川橋梁を渡る「みやま号」からです。2km程南の寝覚床から続く河原の美しさは現在も変わっていません。「みやま号」の上松行きは通常E型貨車が最後部になるのですが、この写真では途中でB型客車No.17を最後部に連結したのか、E型貨車が中間に挟まれていました。「編成的に興味があるもの」として選んだ一枚です。1974-11-14

A紅葉時に小島付近の王滝川沿いを行く「みやま号」。この場所は朝しか陽は当たりませんが、前後2km程が一望にできる上、道路上から安易に撮れる有名撮影地でした。惜しむらくは編成が短いことと、紅葉時には客車の色が保護色となるため、45 mmの準広角固定のレンズシャッター付きカメラでは、どこに列車が写っているのか分からない風景写真となりました(画面中央少し右に列車が走っています)。この付近の紅葉は10月末から11月初旬なので、かなり葉は落ちてしまいましたが、それでも2km以上先、画面左端からエンジン音を響かせ木曾酒井C4が現れ、いくつものトンネルを抜け、最後に御嶽山をバックにして去っていくのは、1つのドラマを見ているように感動する美しさでした。1974-11-15

BAの写真を撮った後、少しカメラを右に振るとこのような山間を行く風景になります。「みやま号」では編成が短いので、その1本前に来た運材台車の回送でお見せします。運材台車の回送は運材列車の約半分の長さですが、このように短いトンネルなら編成が突き抜けた面白い写真になりました。1974-11-15

CAの写真を撮った後、振り返るとこのように、御嶽山をバックにのどかな里村を行く「みやま号」が撮れます。この写真は本当にカラーでお見せしたかったのですが、135 mmクラスの望遠レンズが必要なため、モノクロとなってしまいました。もう少し先で撮れば、さらに大きく御嶽山が入るのですが、残念なことに発電所があるので仕方がありません。この位置でも送電鉄塔が邪魔ですが、モノクロでも結構目立ちます。里村では稲刈り後の藁を干していますが、この地方特有の干し方で、何とものどかな風景を醸し出してくれました。1974-11-15

D二子持付近の御岳湖沿いを行く運材列車(右から左に走っています)。この当時は運材列車が「1日1本あるかどうか」というところまで減少していました。友人と協議の結果、「望遠レンズで連写ができる」という理由でこの場所に決定しました。ただ、御岳湖の水は透明度が非常に悪く、下流の寝覚床のような色を期待していた我々は失望ものでした。ところで、運材列車の音について一言。屋久島に行かれた方はご存じですが、たった1台の運材が降りてくるだけで凄い音がします。それが十数台連なって山から下りてくるときは、「ゴー」という音が10分以上前から山々に響いて驚くべき凄い音がします。その音量と迫力は、C62重連の「ニセコ」のそれと比べても遜色ないものでした(音質は少し違います)。1974-11-15

E有名な大鹿淵を行く「やまばと号」。川霧が立っているので、川面が所々白くなっています。この場所は晴れていると太陽が正面に来てまともに逆光になるのですが、秋から冬の間は太陽が木々にまだ隠れている間に列車が来るので撮影が可能でした。この写真も本当にカラーでお見せしたかったのですが、宿の支払いでもめたために時間がなくなり、モノクロ一台となりました。「やまばと号」は朝8時前に現場に来るので、7時からの朝食を食べてから支払いをすると時間的に苦しいので、前日の夜に支払いを済ませたのですが、管理人がそれを忘れたようです。モノクロでも大鹿淵の美しさは充分伝わると思いますが、さらに「やまばと号」はこの橋を徐行して行きますので、朝の冷気も手伝って、手足が震える美しさでした。1974-11-16

F氷ヶ瀬−下黒沢の日向淵を行く「みやま号」。私は大鹿淵からこの日向淵間が、木曾森林鉄道王滝本線の中で一番の渓谷美だと思います。もし林鉄レイアウトを作れば、必ずこの場所を模型化するでしょう。ところで、この写真は線路の落石覆いの横で撮っていて、列車はこの後、私のすぐ左側を通過して行きます。この「みやま号」の少し前に運材列車が後ろから降りてきたのですが、横を通過したときは生きた心地がしませんでした。1974-11-16

GFの場所で振り返るとこのように後ろが大崩壊地帯でした。これを見ると、いかに森林鉄道の維持管理が大変なのかが理解できます。列車を待っている間も常にバラバラと岩石が落下していた非常に危険な個所ですが、崩壊する前は絶好の渓谷美だったと思われます。列車は時速8kmに速度制限されていますが、急勾配のため山行きはこの速度まで出ません。1974-11-16

H氷ヶ瀬−下黒沢を行く酒井5t DL No.95と助六型客車。B型客車の貫通エアホースが連結ドローバーに巻かれていますが、いかにそれがアクセントになっているかよく分かる一コマ。乗客は影から推測すると1人ですね。カラーの方はフィルムの巻き上げを忘れていたようです。1974-11-16

I有名な下黒沢の鉄橋を行く「みどり号」。この場所は濁川線の廃線跡から撮影しています。10月にここでNHKの撮影があり、テレビカメラ用の足場が組まれていました。少し遠回りですが、濁川線の廃線跡を歩いて行けば楽なのに、崖を垂直に登るという荒技をやりました。前日に大鹿から歩いてここに登った時は、「もうこんなしんどい所は二度と来ないぞ」と友人と話し合ったのですが、次の日も登ってしまいました。秋から冬の間は、この場所は「みやま号」の時間だと車輌に陽が当たりませんので、曇りの時の「みどり号」をお見せします。1974-11-16

J氷ヶ瀬−下黒沢の日向淵を行く「みどり号」。この場所はGの大崩壊地帯から撮影していて、Fの写真は中央右に見えている落石覆いの横で撮っています。この写真も本当にカラーでお見せしたかったのですが、露出が出なくてモノクロとなってしまった1枚。この場所は元々は石積みだったようですが、コンクリートの流込みに変わっていました。1974-11-16

Kウグイ川線大鹿淵を行く木曾酒井C4と客車「No.1」。客車「No.1」が走行中の写真はほとんど発表されていないようですので、モノクロですがお見せします。1974-11-16

L写真はサヨナラの記念列車を牽引するために、最後の点検が済んだ木曾ボールドウィンB1タンクロコ。本当に自力で動いた時は感動しました。誰か「もう一度、走らせる会」を作りませんか。ところで、燃料は薪を焚いているので風向きが悪いと、たき火と同じで目が痛くて開けていられない状態になります。昔の機関士の苦労が伺え、動輪上の重量配分の関係もありますが、なぜ山に登る力行時は逆向きにしたのかがよく分かります。1975-5-30上松

MAと同一場所ですが、11月と5月で同じ風景もこれほど異なります。記念列車は帰りの鬼淵−上松のみがボールドウィンが先頭に立ち、それ以外は木曾酒井C4に牽かれる形となりました。5月末ともなると新緑で山が覆われています。1975-5-30上松

NMの写真を撮った後、カメラを右に振るとこのような山間を行く風景になります。Bよりもまだ右でぼぼ真横写真です。木曾酒井C4に牽かれたボールドウィンは、薪を焚いているのでほとんど煙が出ていません。1975-5-30

O鬼淵の木曽川橋梁を渡る「さようなら運材列車」。川沿いに小川森林鉄道跡が続いているのが一望できます。結局、ボールドウィンが先頭のサヨナラ記念列車は同じ場所で撮りましたが、モノクロの望遠レンズではかわせたのですが、カラーは45 mmの準広角固定のレンズシャッター付きカメラだったので、見事に報道用のヘリコプターが入ってしまいました。1975-5-30

P「さようなら林鉄」の現地式典会場。近所のおばさんや子供まで含めて、やはりすごい人出で、とても機関車の写真が撮れるような状態ではありませんね。退色したのか、木曾酒井C4の茶色と客車の赤色が同じ色になっています。木曾酒井C4の色は番号により2種類に分かれるので、塗装される方は注意が必要です。1975-5-30上松

Q「さようなら林鉄」の現地式典会場。以前にモノクロでお見せしましたが、調べてみるとカラーもありましたので再度お見せします。横断幕が黄色で、B型客車の飾りのモールも緑と赤があったのだ、とカラーを見て再認識しました。1975-5-30上松

Rウグイ川線を大鹿へ向かう木曾酒井C4とB型客車。残り2枚はウグイ川線です。私たちが訪れた時は、3日間の内1日半が大雨の悪天候でしたので、カラー写真はおろか、モノクロさえもほとんど良い写真がありません。この場所ではこの後、運材列車も撮影しているのですが、光線状態の良いこちらの方をお見せします。1976-8-27大鹿−黒淵

S坊主岩に向かう運材台車の回送。運悪く雲が出て機関車に影がかかってしまいました。Rの写真は正面のガレ場の上から撮っています。ガレ場の上は峰まで伐採が終了していまい、切り株だけが残る無惨な姿になっていました。1976-8-27大鹿−黒淵