もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−5
木曾森林鉄道は表向きには「廃止された」と言われてからも、そのまま引き続いて機関車などが工場で使われていたり、残存しているレールの上を営林署のモーターカーなどが自転車代わりに使われていました。残存しているレールの上を、現役時の車輌が改造されずに使われたり、走っているわけですから、これもまた現役となります。一方、赤沢の記念館に保存予定の車輌は、線路が残っている駅や交換所に少しずつシートも被せられずに保管(放置)されていて、記念館の完成を待っていました。今回は1977-8年における、そのような余生を送っていた「残された車輌達」の写真をHP用に送ります。両年とも滝越−堤防上間に走っていた関西電力の車輌を撮りに行くついでに撮影したものです。


@王滝営林署のモーターカーNo.65。赤沢の記念館が完成する前は、こんなところに放置されていました。前照灯が2灯化されると、驚くほど印象が変わり、近代的に見えます。後方はNo.68。1977-8-2一ノ瀬付近


A王滝営林署のモーターカーNo.68。先程のNo.65も元はこのような面構えでした。ところで、手前の貨車は何に使われたのでしょうか。1977-8-2一ノ瀬付近


B王滝営林署のモーターカーNo.20。No.20は上松運輸営林署のモーターカーNo.5と同型で塗り分けが異なっていました。前面はまともに逆光だったので写真はお見せできませんが、2色の金太郎の腹かけ塗りでした。現在、藪原の木祖村郷土館で保存されていて、色は異なりますが、前面の塗り分けは現役時の下塗りをほぼトレースしています。この時は営林署の人の自転車代わりに、レールが残存している滝越白川線分岐点から堤防上間で使われていました。1977-8-2一ノ瀬−堤防上間


C台枠が角張っている鋼製運材台車。手前の方のブレーキのクランク棒は盗られていました。一番奥の運材台車はブレーキポストがない?1977-8-2滝越白川線分岐点


D酒井モーターカーNo.18。乗工社から「ワークカー」として製品化されましたが、キャラメルモーターを入れるため、設計に苦労がうかがえる模型(やけにボッテリしてますね)と比べ、実物は実に開放的で、後ろから見るとステキな車輌でした。運転台と荷台の間は広々とした窓で仕切られ、その窓の上にはバックライトが付いていました。小さなモーターが市販されている現在、もう一度スケール通りに模型化してほしいものです。向こうに見えるのは大型B型客車No.13で、1972年の正月に上松で見て以来、5年ぶりの再会でした。1977-8-2滝越白川線分岐点


E同じくモーターカーNo.18の前面。一方、前面の方は、燃料注入口がキバのように出た、何かイノシシのような無骨な感じですね。女の子を例にしては良くないのですが、典型的な「バックシャン」です。1977-8-2滝越白川線分岐点


F草が生え茂る田島構内。上松側から本谷方面に向かって撮影しています。右手に修理工場があり、本線が廃止されてからかなり年月が経っていますが、この時期でもまだ残存して使われていました。1978-8-27


G集材機用の燃料などの運搬のために、木曾には各地にタンク車がありました。写真には2両並べて写っていますが、同じ楕円タンク車といえども、手前の方が鏡板が丸く、タンク受台の間隔が広くなっている事が判ります。安全弁の形など言い出したらキリがない程、タンク車も個性がありますね。下回りが鋼製のものは、軸受け部に軸バネが入っていました。ところで、手前の方のタンク部の板の継ぎ合わせ方は凄い発想ですね。1978-8-27


H、I田島の協三工業製自走式クレーン車No.11クレーン車。上松にいたNo.7とは同型車と言われていますが、キャブや窓の形が少し異なり、細かいところではバックミラーの有無の差もあるようです。1978-8-27


J田島構内修理工場。早朝なのでまだシャッターが閉じられていました。ガントレークレーンや集材機、タンク車など色々なものが写っています。1978-8-27


K左の円形タンク車は台部が木製ですが、右の楕円タンク車は鋼製の下回りです。こちらも鋼製の方は軸受け部に軸バネが入っていましたが、木製の方は軸バネがありませんでした。1978-8-27田島


L集材機のワイヤー巻き取り用のスプールです。作業に不便なためか、運材台車のステーが外されていました。またこの運材台車は王滝営林署の所属です。1978-8-27田島


M、N運材台車に乗る大型集材機。こちらの方は運材台車のステーはついていました。集材機の前後の運材台車には、巻き取り用のスプールやコイルにされたワイヤーが乗っていました。是非、このような編成を模型化したいものですね。このように大きいりっぱな集材機を見たのはこの時が初めてでした。まさか集材機が将来模型化されるなど、この当時は考えたこともなかったですね。ところで、この大型集材機にはタイフォンが付いているのですが、巻き上げなどの合図に使用したのでしょうか?1978-8-27田島


O運材台車に乗る小型集材機(No.92)。上の大型集材機は大事そうに板の上に乗っていますが、こちらは軽いのか、運材台車に直接乗っています。1978-8-27田島


P酒井モーターカー No.4のお尻です。後ろ左下には、燃料注入口とテールライトの塞ぎ板?があります。No.4の後部ドアの窓は少し横長(No.5はほぼ正方形)ですので、それが正方形に近い模型とは少し印象が異なります(模型の方が少しボッテリしているように見える)。この写真の撮影場所は大鹿のウグイ川線のトンネルの中です。この時期になってもまだウグイ川線の大鹿ー坊主岩間は線路が残り、職員の足代わりとしてモーターカーが走っていましたが、最後まで使用されていたのが、モーターカーNo.72とこのNo.4でした。大鹿構内の線路が全て撤去された後も、この2両は、トンネルを車庫代わりにねぐらとして使用していたので、大鹿を訪れても気が付かなかった人も多いと思います。1978-8-27



Q−Sウグイ川線坊主岩に停車中のモーターカーNo.72。この日は大鹿のトンネルにNo.72がいなかったので、坊主岩まで徒歩で追いかけると、やはりここにいました。小型モーターカーって軽量化するために、本当に内装は簡素ですね。写真では少し見にくいのですが、室内のバックミラーのところには、交通安全のお守りが下がっています(自家用車感覚)。坊主岩の構内はかなり草が茂っていましたが、ここの構内以外はきちんと草が刈られていて、路盤・線路とも運材列車が走っていた頃と全く同じでした。1978-8-27