春になって虫も土から這い出してくる季節になったので、人間様もじっとしていられなくなり、隣り町松川村の蜜澤さんを誘って、久し振りに木曽路へと向かいました。 蜜澤さんはウチのお得意様で、冬のうちから春になったら御一緒しましょう、とお誘いしていたもの。しかし4月になったというのに、前日から15cmほどの雪が降り、またタイヤも一週間前に夏タイヤに履き替えた事から、一時はどうしようかと悩んだのですが、まあ春の雪だから直ぐ解けるだろうと、高を括って出掛けたのですが・・・・・・ 今回のメニュー @薮原木祖村郷土館:モーターカー A木曽福島関山公園:酒井5tDLNo.106、モーターカー、運材台車 B開田村郷土館:酒井DBTNo.135、C型客車、運材台車 Cライオン王国:酒井DBTNo.130、大型B型客車、砂利運搬車、運材台車 D三岳村倉本:個人所有モーターカー、運材台車 E大桑村:モーターカー、カブース F南木曽町福沢桃介記念館:酒井5tDLNo.49 G奈良井:C12 199 H奈良井木材:酒井5tDLNo.95、B型客車 例によって奈川村を経由して木曽入りしたのですが、峠に差し掛かると一面雪。まさにアイスバーン状態で、助手席の蜜澤さんは落ち着きがない。東京っ子の僕は雪道の怖さを知らないので(むしろわざと急ブレーキを掛けたりして、滑るのを楽しんだりして)、いや〜4駆だから、とかABSが有るから、とか言っても、そういう問題じゃあないといった顔。しかし、峠を越えて木祖村に入ると快晴。やれやれ。 まずは通り道、薮原のモーターカーを挨拶がわりに1枚。例え変な色でも現存するのは有り難い事です。 さて、今回初めて訪れる木曽福島の関山公園。計画では雪も解けているはずだったのですが、御覧の通りの雪。ボンネット上の雪を蜜澤さんと払っての撮影とあいなりました。 前日たまたま山下さんがウチに遊びに来られたので、関山公園に行く話をしたところ、色を塗り替えましたヨ、と聞かされていたので、どんな色になったのかも楽しみでした。 酒井5tNo.106は三殿営林署配属だったので、貫通ブレーキが無いため、コンプレッサーもエアーホースも無いサッパリした外観。ボンネットカバーが全く無くなっているので、却って内部がよく観察できて、それはそれで良かったです。エンジンを載せ替えた為でしょうか、ボンネット上には排気管の穴を塞いだ跡が右側にありました。 モーターカーや運材台車も、ここには保存されています。幌の全く無い様は、まさにガイコツ状態ですネ。山下さんの写真と見比べてみて下さい。 一応記念撮影なんかしてみたりして。ディテールが見えないから、どけって?まあ、イイじゃあないですか。 木曽福島の駅前で昼食を摂ったあと開田村を目指します。快適にクルマを飛ばしていたのですが、新地蔵トンネルを抜けて開田村に入ると、御覧のようにまたしても雪。それでも細部写真を撮っているうちに、止みましたが・・・ 開田郷土館をあとにした我々は、次なる場所「ライオン王国」へ向かいました。勿論蜜澤さんは初めて訪れる場所で、チョット判り難い場所だけに嬉しそう。ところが行ってみたら、ブルーシートで覆われておりガッカリ。現存数が少ない大型B型客車もスッポリと覆われていましたが、台車は見えていたので一応シャッターを。オリジナルと思しき台車の色は緑色でした。赤い車体に緑色の日本農林機械製台車。結構オシャレですよネ。 実は僕の「ライオン王国」訪問の理由は、砂利運搬車の採寸にありました。アルプスモデルのインレタにもラインナップされているし、平田さんのアルバムではグレーに塗られていたり、丹羽さんのアルバムでは黄帯に緑で塗られていたりして、ぜひともスポーク車輪を履かせて、模型化してみたいと考えていたからです。 そして三岳村倉本のモーターカー。ああ、まだ有って良かった。二人してブルーシートを剥がして記念撮影です。10月8日の訪問時と比べると雑草も枯れていて、今回の方が見易かったですね。 さて、三岳村を経由して国道19号線に出た我々は、ひたすら南下して岐阜県との県境南木曽町を目指します。大桑村のJOMOスタンドの前には、モーターカー他が保存されているのですが、クルマを横付けしてビックリ。色が変わっているんです。前回訪問した平成12年6月4日には、空色のツートーンだったものが御覧の通り。カブースも綺麗に化粧直しされていました。オーナーの愛情が感じられますね。 次は南木曽町の福沢桃介記念館のNo.49酒井です。板バネ軸受といい、前SAKAI文字といい、ぜひとも模型化したいアイテムですね。勿論採寸は済んでいます。面白いことに、ここに保存されている運材台車3輌はみなタイプが違うんですよ。 途中、E型貨車や関電のKATOを見せて上げたりしながら国道を北上した我々は、奈良井に保存されているデフ付C12のドライブインで休憩。デフ付って珍しいですよね。でも我々は興味が全く無いのと、日が落ちて寒さもあって直ぐにGO。 線路際に保存されている奈良井木材の車輛もチェック。ありました有りました。調べてみたら、No.95の酒井とB客ということが判りましたが、一度もその姿は拝めず仕舞い。 陽が長くなったとはいえ、木曽谷の日没は早く、5時ともなるともう薄暗闇が立ち込めてきます。山道のドライブでいささか疲れた僕は、蜜澤さんと交代して助手席へ。一路安曇野を目指したのでした。 |