第一回:出羽鮎川あたり(前編)

まえがき

夏休みを利用して、僕はワーゲンサポーターの安藤君と共に、北陸の私鉄を訪ねる旅に出掛けました。その旅でインスパイアーされて出来たのが、このストーリーです。
 フィクションですから、何も北陸地方にある私鉄という訳ではなく、あくまでも素材としてそれらを利用したに過ぎません。ですから、僕はイメージとして舞台を東北の小私鉄を選びました。読者の皆さんは、自分のイメージする地方に置き換えて下さっても結構。いや、むしろ積極的に”自分ならこういう電鉄がいいナア”というように、もっとイメージを膨らませてみて下さい。きっとそこには模型人だけが味わえる素敵な世界があるはずです。でも、まずは、出羽電の旅に御一緒しませんか?

奥羽本線も秋田を過ぎると、右手に八幡平の優美な姿が、たわわに実った稲穂の海の向こうに見え隠れするようになる。
 私は日本海がよく見えるように、と進行方向左側に席をとったので、八幡平を車窓から望もうとすると、自然と隣のボックス越しに、ということになる。
 秋田から乗り込んで来た二人連れー祖母と孫娘だろうかーは先程から、持参した握り飯を楽しそうに頬ばっている。山を眺めるには、自然とその二人越しに車窓と向かうようになり、何ともばつが悪い事この上ない。
 右に左に大きくカーヴを繰り返すと、列車は速度を緩め始めた。次が出羽鮎川である。


この駅に立つのも、何年振りだろうか。遠い親戚が男鹿湊の近くに住んでおり、子供の頃は親に連れられて、学生時代は東北旅行への撮影旅行の道すがら、よく立ち寄ったものである。見覚えのある駅名標。沿線案内には”出羽電鉄乗り換え”と書かれている。
 北国特有のかん高い汽笛を残して走り去った列車を見送り、その向こうのホームに停まっている小振りな電車、これが湯ノ山温泉へ行く列車である。
「次は鶴木。つるぎです。この電車は湯ノ山温泉行きですので、男鹿湊方面へは行きません。男鹿湊方面にお越しの方は、次の駅でお乗り換え下さい」
 ショートカットの上に乗せた制帽が可愛らしい娘の車掌さんが、車内をゆっくりと歩きながら案内してくれる。まるで録音テープのように暗記した決まり文句が、少し反り返った愛らしい唇から淀みなく流れ出る。


ここで、出羽電鉄について説明をしておこう。出羽電鉄は奥羽本線出羽鮎川を支点としてV字形に路線を展開しており、八幡平の麓の湯治場・湯ノ山温泉に向かう通称山線と、日本海の漁港・男鹿湊に向かう通称海線から成り立っている。
 開業は大正8年4月1日で、地元男鹿町の有力者・平川杵二氏や秋田市出身の秋田県議会議員・浅野徳三郎氏らが発起人となっている。
 かつては男鹿湊からの海産物輸送や、湯ノ山温泉の湯治客で賑わいをみせたものだが、近年のマイカーブームで次第に利用客も減少し、決して経営状態は良くはない。