前口上


ボクが大学2年のとき、国鉄から蒸気機関車が1975年に実質上全廃され、中学〜高校と北海道から九州までSLを追いかけて撮影してきたものが、これから一体何を追えばようのだろうか?と途方に暮れていたとき、ふと目に着いたのが尾小屋鉄道でした。

頚城鉄道も井笠鉄道も既に廃止され、営業運転していた非電化軽便鉄道は尾小屋のみという貴重な存在で、今のように情報も豊富でないなか、とにかく北陸の彼の地を目指したものでした。

実を云うとボクは結構ズボラな性格で、結婚前に撮影したネガは所帯を持つ際に引っ越したとき、何処かへ全部紛失してしまいました。中学から撮り貯めた総てのネガを・・・。
 ですから、手元に残っているのは僅かなプリントとカラーポジのみ、という寂しさですが、旅したときの記憶だけは鮮明に覚えています。

尾小屋鉄道には3回訪問しました。いつも羽田空港から小松空港へ飛んで、そこからタクシーで新小松駅に向かっていたので、羽田を発って2時間後にはいきなり軽便鉄道の車内に立っていた訳です。
 春休みに1回、夏休みに1回、冬休みに1回と、大きな休みの前半にはアルバイトで旅行資金を作り、後半を利用して連続して訪問したほどに、この非電化軽便鉄道の魅力に圧倒されました。
 ロングシートに向かい合って座っていると、足を延ばせば触れ合うほどに狭い車内。関戸さんという頑固そうな車掌さん、新小松の踏切番のオジサン。
 足しげく通うようになったのは、地方私鉄よりももう一段ファミリーチックな雰囲気が軽便鉄道そのもののように思われたからでしょう。

まずは、そんな「ボクの尾小屋鉄道の印象」を御覧に入れてから、今回の訪問記に移りたいと思います。

モノクロ:Nikon F Nikkor 58mm/f1.4 TX
カラー:Zenza Bronica S2 Nikkor 75mm/f2.8 Nikkor 200mm/f4 EPR




人間を絡めたカットには手軽なNikon Fにモノクロを入れて、走行風景の撮影には三脚に据えたZenza Bronica S2にエクタクロームを入れていたのですが、スキャンして驚いたのは、その走行風景全体の7割方が大俯瞰撮影をしているということ。

「煙とバカは上に上りたがる」という言葉がありますが、いま考えてもどうやってこんな高い所まで登って行ったのか覚えていません。
「この道を登って行けば、こういう風に見えるハズだ!」と信じて、恐らく5万分の1の地図を頼りに山道を登って行ったのでしょうが、今ではとてもそんなバイタリティーはありません(^^ゞ。


 

 

 

 

 

 



上の記事を書いてから、当時持って行った書き込みのある5万分の1地図が保管されているのを思い出したので、写真と見比べながら撮影ポイントが判明したのが数カットありました(*^^)v。
 いずれも東京の机上で地図を読みながら立てた撮影プランです。

こうやって地図と照らし合わせてみると、段々と記憶が蘇ってくるのですが、川と線路の位置関係や、周りの集落の具合を勘案しても、どうしても判らない俯瞰カットもありますネ(^^ゞ。何せ40年前ですから(^O^)。

まず、その1。

地図で採石場の印を真正面に見て撮影しようと現場に臨んだカットは実に判りやすかったです(^^♪。(地図上の〇印)

同じ地図で一旦山の中に入る道を進み、何と大胆にも等高線を突破して、黒い矢印を進み、採石場の裏手の小山の上から俯瞰しようとしたのが、もう1枚のカットでした(^_-)。(地図上の↓付〇印)
 この地図の書き込みを見たら、足元が凄い崖の上で、三脚を据えるのも怖かった事まで思い出しました(@_@)。


 

その2。

地図で塩原町と書かれた左に神社があります。
 この神社は小高い所にあるように書かれているので、この境内から見下ろせば、手前に集落が、奥に塩原駅が見渡せるのではないか?と考えて現場に行って撮ったカットがこれです(^^♪。

他の矢印は解明が容易で、例えば右の2か所の矢印の内、右下向きのカットはカーブの外側から撮ったものでした。


 

その3。

ここは「遊園地前」という駅ですが、地図には駅名が載っていません。
 遊園地を作ろうとしたけれど計画倒れになってしまい、駅名だけが独り歩きした駅ですから、周りには全く人家がありません。
 この駅の近くにある貯水池を絡めて撮ろうとしたのが、この矢印のプランでした。
 しかし、現地に行って三脚を据えて列車の到来を待っていたら、何と木が邪魔して列車が隠れてしまった!という失敗カットもあったりします(^O^)。