「標茶・開運町再訪」の巻



標茶町営軌道は最も新しい簡易軌道で、昭和26年に着工し、同30年に開運町〜中オソツベツ神社前が、同32年には中オソツベツまで延長され、同34年に中オソツベツ〜上オソツベツが、同36年に開運町〜国鉄標茶駅前が開通して全線24.2kmが完成しました。
 しかし開運町〜国鉄標茶駅前の輸送量は予想を大きく下回り、完成から僅か5年後に同区間は休止になってしまったため、実質的なターミナル駅、それがこの開運町です。
 廃止されてから42年も経ちますが、主だった建物は現存しており、広々とした構内は町営バスの基地となっています。




 

上の鳥瞰図を見て頂ければお判りのように、この場所はヤードだったところで、右の方に見える道路沿いにはホームがありました。

 

 

かつては軌道事務所だった建物。大小二つの建物はL字型に連接しているのが特徴です。
 ブロック積の典型的なスタイルで、簡易軌道のレイアウトを作る際のエキスが詰まっているデザインです。


 

町営車輌整備工場と書かれたこの建物は営業していた頃からのもので、当時も同じ場所にこのように書かれていた事から、この文字は当時のままと推察されます。
 前後ともに向かって左側にシャッターがあるのが謎ですが、これが却って物語性を醸し出しています。


 

かつては4つの出入り口があった機関庫。通常の考えでは妻面に出入り口を設けるものですが、このように側面にあるのは珍しいスタイルです。
 しかし考えてみれば、車両の長さが短ければこのようにした方が作業性が良く、これもまたアイデアのひつでしょう。
 この機関庫の手前にはターンテーブルがあり、4つの線に分配していました。


 

その隣にも少し長い2線機関庫がありましたが、現役時代の写真を見ると、やはりこちらには長手の自走客車を格納していたようです。

実はボクが作った上茶呂停留所の下半分は開運町をイメージして作ったもので、そういった意味でもこの地に立って当時を偲ぶと、不思議な気分になってきます。